私の人生のターニングポイント
- グローバルマインド
- 2022.02.12
山元さんとの出会い
私の人生のターニングポイントは間違いなく27歳の時の山元さんとの出会いです。私にとっては天から最大のチャンスを授かった日です。日本の英語教育を改革するという夢に燃え、飛び出した大手金融機関。個人事業主として通訳・翻訳・英語講師でようやく生計が立てられようになった頃でした。このままで私の元々抱いていた大きな夢は叶えられるのだろうか。今の活動で救える人の数には限界があるのではないか。そんな迷いを抱えながらある生徒さんに英語を教えているところに山元さんが通りかかられました。
当時の自分
最初の就職先は三菱UFJモルガン・スタンレー証券でした。投資銀行業務という響きのよさと憧れの丸の内で勤務ができるという理由で選択した進路でした。しかし、実際ビジネス生活が始まると、自分の存在意義や寝る間も惜しんでただExcelなどの「作業」を繰り返している状況に危機感を覚えるようになりました。金融のエキスパートになれないであろう自分に焦りを感じるようになりました。一方で東大・京大卒のピカピカな先輩たちの代わりに重要な英語での電話会議に出席したり、海外出張に行っている自分にはもっと大きな疑問を感じるようになりました。このギャップに悩みながらの連日の長時間労働に耐えられなくなっていきました。
このグローバル時代に英語力は必須になってきていますが、それは本業の何かに活用するためであって、翻訳者や通訳者を社内に抱えたいということとは意味が違うことにも気づかされました。バイリンガルの社員は悪くすると社内の翻訳係、通訳係としての「便利屋」と化してしまいます。まさに入社当時の私です。逆に日本には仕事が凄くできるのに英語力がないという理由だけで世界には通用しなかったり、出世のチャンスを逃している人がたくさんいるということを知りました。
この二つの問題を解決するために会社を飛び出し、新たな挑戦を始めました。仕事ができるのに英語力の低い人に「英語」という武器を与えること、そして英語力を活かして仕事をしたいと考えているバイリンガルに活気のある素晴らしい「職」を創造する。
通訳の仕事はバイリンガルの憧れ
通訳の仕事は確かにバイリンガルの憧れの職種の一つです。しかし実際には稼働率は低く、自分の専門分野でない話題には多くの事前準備が要求されます。これでは金融機関で経験していたことと大きな変化はなかったかもしれないという焦燥感にかられました。通訳のお仕事以外の時間は英語講師として発音矯正やビジネスメールの添削の支援をしている時間がほとんどでした。担当している生徒さんは英語力の向上を通して自分のキャリアを変えたいのか、ただ何となく英語ができないと不安なのか。はっきりしないまま、教えている自分にもしっかりとした方法論もなく、行き当たりばったりに近い指導法かもと壁にブツかり始めていた頃でした。
山元さんを本気にさせた!
山元さんからは日本人の英語力を確実に向上させるためのメソドロジー(方法論)を相談したいと言われました。最初は何を意味するのか戸惑いましたが、約束した2ヶ月で自分のこれまでの言語学の知識やバイリンガルとしての経験を注ぎ込んだ方法論(現在ではDYE Methodと名付けている)を完成させました。このメソドロジーの説明をした時の山元さんの目の輝きは今でも忘れられません。
山元さんを本気にさせることに成功しました!私の夢に賛同いただき、コミュニカという会社でその実現に向けて歩み始めることになりました。2012年の夏に株式会社コミュニカに唯一の社員として入社しました。